さかなとかえる

徒然なるままに

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この世の中はトレードオフだっていう話

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ずいぶんと前の記事を読んでしまった。

不運と理不尽に襲われたとき、うまく切り抜ける人と、逃げ切れずに酷い目に会う人の違い - 分裂勘違い君劇場

正直に言って長いけど、本質的で読み応えがある。

 

何か悪いことがあった時には、

自分事ととらえ言い訳しない・逃げない人と、

他人や環境のせいにして文字通り運が悪かったで終わらせる人がいる。

 

だいたいこういう話になった時、「いやいや、自分は他と違って、他人のせいにしないよ」と思う人が少なからずいる。

でもその大半は、自分の覚えがないところで、無意識・反射的に他人のせいにしているところがある。

なぜそれが起こるかというと、自分の身を守るため。そしてそれすら記憶から抹消する。なんて都合のいい生き物なんだろう。

 

たいてい、社会学を勉強している人は後者だというのはロンダリングしてわかった。

意識しているかできていないかはともかく。

保守的で、社会主義的。

別にその主張も理解できる。社会的弱者を救うには外部の思いやりが足りていない、という主張。

 

本文の最後には、こう書いてあった。

そして、そのような世界で、不運と理不尽に襲われたとき、マッチョになる道を選ぶか、ウィンプになる道を選ぶか、それはあなたの自由だ。

神のいないこの地上では、一切は許されている。

マッチョでもウィンプでも、あなたの好きな方を選ぶといいだろう。

 別にどっちでもいいのだけど、その選択そのものは自分の責任ということから逃れられないよっていうことだ。

 

意識高い系のインターン選考でもアトラクション的な課題があって、結論は「自分事できているか・良くも悪くも自分のせいにできているか」を見ていた。

自分事っていうのがなんか言葉として納得できないので、シンプルに

「言い訳をしないか」が大切なんじゃないかなぁって自分なりに解釈している。

 

すぐに環境のせいにする人

でもそんな環境を選んだのは自分だ、と考える人

 

甘えるな、というわけではない。

ただ愚痴ばかり言う人は何も変わらないし、そんなこと言っている暇があれば自分のマインドを変えるか、環境を変える努力をすべきだとは個人的には思う。

客観的に見ると、本質は別にどっちでもいい。

 

ただこの世の中はトレードオフだ。

お金や時間をいけにえにして遊び、思い出を作る。

友達を失って、ネットビジネスで騙し儲ける。

たいていはお金・時間・仕事・人脈(恋人も含め)の一部を失っては、代わりに得る。

今もこうやって、終わりのわからないけどタイムリミットは少しずつ迫ってきているゲームの中で人は生きている。

 

楽な道を選び、ずっと人のせいにした生き方をするか。

しんどい道を選び、しんどいながらもまっすぐな生き方をするか。

 

人生のピボットをするのなら、ご利用は計画的に。

 

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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