マクレガーのX理論Y理論に関して。
マクレガーのX理論・Y理論とは
X理論は、性悪説に近く、強制力で動機付けをさせる。
Y理論は、性善説に近く、マズローのいうところの高次の欲求になる。
これでいうと、よくX理論の環境はクソでY理論がいい、という風潮があり、私もそう思ってはいるのだが、果たしてそうなのだろうか。
多分、私はうまくいかなかった部活の組織がX理論で、その印象に引っ張られているという印象がある。
また別の組織だった学生広報の時は比較的Y理論寄り。
学生団体の時もY理論寄りだが、メンバーの問題が多分大きく、うまくはいかなかった。
上司の能力に応じた考察
「仕事ができる人・能力の高い人」のマネジメント化でのX理論は、優れていると感じる。
だいたい、X理論、マネジメントや理不尽なフィードバックに不満を感じる部下は、上司の力が弱い。社内での握りが下手だったり、そもそもマネジメントスキルがなかったりする。
逆に、そこをしっかり握って、自分はこれさえやればいいのだ、という部下は、比較的結果を出すのではないか、と感じる。
仕事が上手でない上司からのY理論は、ある意味でX理論よりも悲惨で、何をするのがいいのかがわからないので、存在意義が薄くなる。
能力の高い上司でのY理論は、特定の握りの中で裁量を持たせられるので理にかなっている。
能力の高い上司→X理論orY理論
能力の低い上司→強いていうならX理論
かなぁと個人的には思う。
部下の能力に応じた考察
一人で仕事を進められる部下で、かつマインドも前向きで向上心がある部下にはどんどん裁量や責任を負わせていった方が彼らの自己実現につながることが多い。
逆に、そういうマインドでない、労働を労働と思っている部下には、経験上任せても何もやらないので、きちっと言ってマネジメントしたほうが結果が出る。
つまりは、
能力の高い部下→Y理論
能力の低い部下→X理論
総括
掛け合わせると、
能力の高い上司×能力の高い部下→Y理論
能力の高い上司×能力の低い部下→X理論
能力の低い上司×能力の高い部下→マネジメントしない方がよい
能力の低い上司×能力の低い部下→強いて言うならX理論
となる。
ここから導けることとしては、この理論は上司の全般的な能力が高くなければどのみちうまくいかない場合が大きいということ。そりゃそうやろって感じだが、改めて上司という要素は大きい。
能力の低い上司×能力の高い部下について、マネジメントしない方がいいというのは、社内で握れていないのに裁量や責任だけ部下に与えても、不幸になるからである。
本当に部下の能力が超絶高いのであれば、そんな上司の状況をもくみ取ってその範囲で裁量を持って働くかもしれないが、再現性としてはなんともである。
もしそんな部下の立場であれば、上司を変えられるようにポジションを変えてもらうか、それとも別の機会を探すか、がいいのだろう。
なお、私自身は先述の通りY理論が、マネジメントされる側としてもマネジメントする側としても好みなのだが、どこまでがY理論なのかは深く見なければいけない。
実は裁量を持たせながらも、やることをしっかりと方向性を上司が定めてくれたというのもあるので、非常に難しいところである。
ただ仕事を投げるだけ、はY理論でもなんでもないので、マネジメントする立場としてはその辺りをしっかりと把握して育てていくのが望ましい。
ところでどうして、マクレガーはこの要素分解をX理論・Y理論という呼び名にしたのだろうかと、ふと思った。