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考える鱒

モラトリアム文系院生のつぶやき

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カフェで隣のおばあちゃんと会話した話。

出来事。

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先日、人と待ち合わせしている時にカフェにいたら・・・

 

隣のテーブルからおばあちゃんが話しかけてきました。

「パソコンとスマホってどっちがいいの?」みたいな話でした。

鱒がパソコン(Surface)いじっていたので話しかけてきたのでしょう。

 

そこからいろいろ話しました。正確には、ほぼ一方的に話されました。ちょいちょい何言っているか聞き取れない。

「お兄ちゃん大学生?」とか、「ここ良く来るの?」とか。

そのおばあちゃんは80歳ということが判明。ちなみに友人と会う約束していたが、1時間遅れてキャンセルされて次の予定まで時間を潰していたらしいです。

お孫さんは大学に行かず、高卒でホテルで修行をしてから・・・映画監督になる!と言って東京に出かけたらしく、しかも自分がそのお孫さんに似ているとのこと。

 

おばあちゃんはすごいお孫さんが好きなようで、ただただ自慢されました。

「すごい目標を持って、めちゃくちゃ頑張っている」だの「この映画のワンシーンに出た」だの、「映画祭のために数分の映画を作っていた」だの。

しまいには鞄からアルバムを出され(なんで持ち歩いているんだ)、お孫さんとの写真がありました。青年っていう印象でした。

 

別に何とも思いませんでしたが、終始話を合わせるために「すごいですね」みたいなスタンスで、おばあちゃんの声が聞こえない部分があってもとりあえず頷いていました。

 

そうしたら、「お兄ちゃんは何か目標あるの?」と聞かれました。

「特にないですね、しいて言うなら楽しみ続けることですね」と素直に答えたら、

「最近の若者ってそういう人多いよね」みたいな嫌味?を言われました。

「それに対しうちの孫は・・・」となり、またお孫さん自慢が始まりました。

そのおばあちゃん曰く、「目標をもってそれに進む人は素晴らしい」

とのことでした。

 

個人的には目標や夢なんていらない人ですが、やっぱり世間一般的には「大きな目標に向かって努力する」ことがロマンであり、好印象なのかなぁとその会話の中で感じました。

ちなみになんで目標や夢がいらないかというと、目標や夢と持つことと、またそれに向かって努力することは、本質ではないからです。結局はどんな夢を持とうとあるいは持たなくても、努力するとか頑張っているとかに関わらず、成果がどれくらいかというところがコアなので。ただ人間的にはプロセスを重視する方がなぜか受け入れられていますが。

内部ではこれまで通りに思っていた方がいいけど、他人に言うときは相手に合わせたことを言う準備をしていた方がいいのかなぁ。

 

なんでかっていうと、やっぱり相手に合わせた方が共感してもらえるし、結果的に人を動かせるんですよね。

このおばあちゃんに限らず、誰かに投資してもらえるようにするには将来のリターンを説明する必要があって、やっぱりそうなると未来の話になるので、夢や目標とか語れないといけないよなぁと思います。

本当にそう思っているかどうかは別にして。そんなことは重要でない気がします。

自分は割と良くも悪くも正直なので、他人に合わせたことを言う・演じることは正直なところなかなかつらいです。

こんな人間なので、おばあちゃんのお孫さんだったり、自然と「世界の人々を助けたい」「社会問題を解決する」とか「日本の教育を変えたい」と思う人って素直に尊敬します。社会系の大学院行って勉強すると、「その主張は社会学的観点からは論理的に破綻している、そんなの偽善だ」としか思えなくなってしまいました。文系大学院って、社会不適合者の集まりですからね。

 

他人に受け入れられる本質は、真の本質とはちょっと違うようです。そうなると、真の本質は真の本質でなくなる。実に面白い。