さかなとかえる

徒然なるままに

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文化的再生産と、所得環境と困難と。

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Googleの採用条件についての記事が、また上がっていたので書きたくなった。

なんだろう、GoogleさんかGoogleさんをリスペクトしている人が、定期的に啓蒙活動をしているような気がする。

 

「大学名は関係なし。人生で苦労を乗り越えた経験があるかどうかが大事である」そう述べている。

じゃあ、Googleの人は学歴関係なく、ランダムに近いのか?聞いてみたい。

ハーバードの学生は、起業する学生もかなり多いらしいが、それを除いた「就職」の人気ランキングではGoogleが一番人気だそうな。実際に入っている人数まではどれくらい多いのかわからないけれども。

 

GoogleさんをリスペクトするようなITベンチャーの人事も、影響を受けたのか似たようなことを話している。

まぁでも常識的に考えれば、ITベンチャーなんて大企業ほど人気はないので、学歴とか言っている場合ではないのかもしれない。「うちの先輩たちも学歴関係ないよ」というアピールは、裏を返せば「学歴高い人があまり来ない」だけの可能性もある。

 

ところで、学歴と資本の関係は社会学でよく議論されている。

ブルデューは「文化的再生産」と呼んだが。すなわち、

・資本は教育を買える

・学歴と収入は平均すれば比例する

この2つが重なり合い、「学歴が高いと収入は高い、その収入で子どもの教育に充てるため子どもも学歴が高くなりやすい」という因果関係になる。

「朝ごはんを食べる子どもは、食べない子どもより頭がいい相関がある」というのは有名な話。

 

つまり、問題は、こうだ。

1つ目は、「学歴(≒所得)と、人生で苦労を乗り越えた経験」の相関があるかどうかだ。

Googleは、学歴じゃなくて人生で苦労を乗り越えた経験が大事だと言っているが、人生で苦労を乗り越えた経験がある人はどんな人か?

「貧しい家庭で育った人は反骨精神があっていい、乗り越えざるを得ない環境にいた」という人ももちろんいるだろう。

こういう人への反論は、「誰しもが乗り越えたわけではない、受け入れるだけの人もいるので人による」ということだ。

逆に、「学歴という一種の競争を勝ち上がったのは、困難を乗り越えた証拠だ」という人ももちろんいる。

こちらへの反論は、「もちろん競争をくぐり抜けた人もいるが、学歴は資本で買えるので家庭環境がいい人はたいした苦労をしていない」ということだ。

 

2つ目の問題の方がやっかいなのだが、「人生で苦労を乗り越えた経験」とは何か、ということだ。

困難を乗り越えた経験というのは(Google先生を見習ってか)多くの会社の面接で実際聞かれたのだが、それは「自分にとって一番困難な経験」でしかない。

相対的な評価が難しいのではないか。

たいてい質問で聞かれるので、求職者も答えを準備しているのは当然。

困難の質で定めるのか、どうするのか。

 

 

 

実は、言葉にはそんなに重みがないんじゃないかなぁ、と思うんだ。

話すことなんて、たいしたことないんじゃないか。

 

ただ、話してみれば、所得環境もある程度わかり、困難もある程度はわかるのではないか。そう思ってきた。

ブルデューは文化的再生産を論じたけど、その人の話し方や顔つきは、再生産されるものでもないと思っている。

 

ただ、富裕層の問題は「お金の価値を軽く見すぎていること」であり、貧困層の問題は「お金の価値を重く見すぎていること」じゃないのかなぁと個人的には自分自身も含め、感じている。

この苦労を乗り越えたら、困難を乗り越えた経験として余裕でリストアップできるんじゃないかって思っている。

 

ちなみに自分が採用をする立場なら、会社規模にもよるけど

・ビジネスの本質を理解している人

・結果主義の人

を採用する。考え方が似ている方が楽に働けるから。