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考える鱒

モラトリアム文系院生のつぶやき

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最後の「人生の夏休み」の過ごし方についての考察

タイトルの「の」の乱発具合・・・

 

とうとう、人生の夏休みが終わろうとしている。

まぁ厳密には春休みなんだけど。

そして今は冬真っ只中。もうこれわかんねぇ。

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結論から申し上げると、特に何も変わったことはせずに、普段通りである。

最近インスタのログ専なんだけど、やれグアムだヨーロッパだ東アジアだといった投稿を見ていて「いいなぁ」とだけ思っている。

まぁでも、みんなは心優しいのでSNSでアップしてくれるから自分も行った気になる(夏休みの時にも同じことブログで書いていた気がする)。投稿者は「俺こんなとこ行ったぜ!」という承認欲求を満たせるので、互いにWin-Winである。

そんな行く余裕があるのが羨ましいし、っていうか一緒に行く相手がいるというのがいい。

文系大学院はなんか知らないけど人少なくて、同性は自分と30前後の元社会人の方しかないもんだから(この方見た目普通に若いから違和感ないけど)。

時間はそれなりにあるけど、お金がないし一緒に行く相手もいない。

 

よく社会人の人に、「時間あるのは学生のうちだから、海外とか行っとけよ」みたいなありがたいアドバイスをいただくのだが、完全無視である。

そもそも、旅行とか遊ぶことにそんなに魅力を感じていないんじゃないかと、最近思ってきた。

ネタ抜きにしてあんまり昔から友人はいなかったので、一人で遊ぶ・時間を過ごすということに慣れているからなんじゃないかと自己分析しているんだけど、どうだろうか。

実際に遊んでみて、そんなにいい経験がないのも要因かもしれない。しんどいの割に合わないみたいな。

なんか同世代の人はめっちゃLINEするらしいし、構ってほしくて遊んでいるみたいなんだろうけど。

 

だから、そもそも遊ぶことにあまり喜びを見出せない。

割と、人と関わるのがつらい人間なので、関わらないで自分だけで何かやっている方がいい。

だから、「人と関わる仕事がしたいです」と言ってる人は素直に尊敬していた。よくそんなしんどいことやるなぁ!?みたいな。

 

人間は弱い生き物だし、楽をしたがる。

寂しかったり、人とのつながりを感じやすい人はそれを満たすために遊ぶんだろうし。

それを比較的感じないドライな人間は、極力楽したいから遊ばない。

 

なので、最後の「人生の夏休み」の過ごし方は、個人的にはごく普通に休むことになる。

過去を思い懐かしむタイプの人間にとったら、どうせどう過ごそうと過去を後悔するか美化するかなんかするし、過去を見ないタイプの人間にとったらどう過ごそうと過去に関心がないのだ。と思うので、どう過ごそうと同じではないだろうか!?

はい。遊ぶ楽しさを知らない、能力のない人間の言い訳・負け惜しみでした。