考える鱒

モラトリアム文系院生のつぶやき

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一生懸命さを出すのが嫌いだ。

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自分は、一生懸命さを出すのが嫌いだ。

 

他人の一生懸命さは、まだそこまで嫌いじゃない。

 

なぜ嫌いか?

・一生懸命にやったかどうかなんて主観でしかないから

→自己評価を客観的に見れない。バイアスがかかってしまう。本当に一生懸命だったのか?という疑問が常につきまとう。

実力主義者だから

→「一生懸命やってみたけどダメだった」はいいものととらえない。結果ありきのプロセス。いつからこんな考え方になったのかは要考察。一生懸命さそれ自体は目的ではなく手段でしかない。

・(一般的な)承認欲求が低いから

→頑張ったアピールしたいという欲求が低い。

でもそれは単に承認欲求が低いわけでもなくて、「頑張ったアピールしてないけど本当は頑張っている」と他者に思われたいという無意識の承認欲求があるのだと分析している。

最近知ったのだが、この「「頑張ってるアピールをしない」アピール」は極めて男性的な思考らしい。逆に頑張ったアピールは女性的な考えだとか。フェミニストに突っ込まれると面倒なので補足するとこれは性差別とかじゃなくて、生物的・構造的な傾向の話。

 

以上3つの理由が考えられた。

まぁ、プライドが高いんだろうな。プライドが高いのも男性的。

 

でもそれは非常に短期的な「自分勝手」「自己中心的」だったりする。

心理学でアンダードッグ効果というものがあって、それこそ一生懸命な人に共感して応援をしたくなる心理がある。さらになおかつ未完成とか、うまくいっていないものにより共感する。

かといって「心理学に影響を受けて、メリットあるから」一生懸命さを出します!と言うと、共感されにくいんだろうな。人間的じゃないというか、感情には響かない。正直すぎるのはいつだってよくない。

つらつらと述べてきたが要約すると、なんとかして長期的に有益そうな「一生懸命さ」を出す戦略にシフトしたいのである。

 

自分の信念的なものをいかに捨てて、他者に共感してもらえる・信頼してもらえる人間になるか。ここが今試されているんだ。

変化は、今の自分を否定して捨てるところから始まる。

まだ自分は若いと自覚しているので、どんどんこのような嫌いなものにチャレンジして、価値観をアップデートしていけたらと思う。