生きている意味なんてない。
生きているのに意味なんていらない。
そう思う。
なんか知らないが、人間は「生きている意味・価値」を見出そうとする。
それがあったら生きられて、ないと死ぬのなら話は別だが、そうじゃない。
どうせ、いつかは死ぬんだよ。たまたま今生きているだけじゃん。
意味なんてもともとないよ。
なんでこんなこと言い出したのかというと、、、
自分の同期だったり、1つ下の代の人たちは
モラトリアム学生している自分より先に働いている。
最近もそいつらと会ったりするのだが、
「仕事しんどい」
「思っていたのと違う」
「自分がやっていることに意味を見いだせない、誰のためになっているのか」
みたいなことを聞く。
いや、そういうもんやん?って思ってしまう。
つまらない仕事を誰かがやっているから社会が成り立っているわけだし、
そんなに仕事がいいものだと思っていたんか?
誰かのためになりたいから、仕事しているのか??
彼らと自分は価値観が違うし、見えているものも違うんだろうけど。
生きているのに意味はないし、だから働くことにも意味なんてないといつの間にか思うようになった。
そもそも「仕事=いいもの」と思ってしまうのは、
いい言葉のビジョンを掲げ、キラキラした部分しか外部には見せない会社たちの問題だったり。
「あなたはウチでどうしたいですか?ビジョンは?」と聞く採用の問題だったり。
その選考に通ろうとするあまり、無意識のうちに信じ込んでキラキラしたビジョンを描く学生の問題だったり。
それ以前に、
やりたいことがあること=いいこと
夢を持って追いかけていること=いいこと
誰かのためになること=いいこと
という概念が刷り込まれている今の価値観の問題だったりと、いろいろある。
この間大学院の同期と話していても、
「うちらもこれから社会の歯車になるんやで」と嫌そうに言われた。
そりゃそうだし、別にそれでいいじゃん。って言ったら驚かれた。なんでや。
少なくとも自分は現在のところ歯車になってはいけないぐらいの希少価値のある人間ではないので。
喜んで歯車になりますよ。
誰かのため~とか、仕事している意味は~とか考える余裕もないくらいにはね。
よく会社のビジョンとか個人のビジョンとかに興味ある人いるけど、ビジョンはビジョン、理想だからね。それが達成できてないからビジョンなので、ビジョンは現在の会社/人を表さない。
そういうこと考えているのもあって、自分はビジョンとか夢とか将来やりたいことを聞かれるのがすごく嫌いだ。苦手だ。
就活を終えてからも聞かれたことが何度かあるが、一応その旨を伝えた上で
「強いて言うなら、しんどいながらにも、社会の歯車を楽しんで頑張ることかな」
と答えている。
生きている意味なんてもともとないんだから、働くことにも意味なんてもともとないんだよ。ほら、ちょっと気が楽になっただろう?