さかなとかえる

徒然なるままに

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終わりがあると、たいていのことは楽しくなる

小学生の時、毎日のように続く学校や毎日課せられる宿題が嫌だった。

 

今思えば、毎日のように宿題を考えてやらせる先生すごいと思う。

 

ただし、卒業のタイミングだとみんな学校好きとか先生好きとか言い出す。

 

あんなに嫌だったのに。

 

中学や高校、大学もしかり。

 

大学なんて、卒論やらないと・・・というオーラがすごかった教室だったのに

 

締切間近になると、もうちょっと頑張れるとか、

 

もっと真剣に早くやっとけばよかったとか、もっとやりたいとか、

 

なんか全然違ったことを言い出すことに違和感を覚えた。

 

そう、終わりに到達したり、それに近づくとなんか美化をするのか、

たいていのことは楽しくなる。

 

それはなんでだろうなと思う。

 

終わりは嫌なのだろうか。

本質的に嫌なのは、終わりよりも、終わりのない日常のはずだけど。

一つあるのは、終わりがあると必ず結果が出る。

 

その結果が出ていなければ、もっと頑張れたのにな、と思うのだろうか。

それであれば、結果を可視化するタイミングを早くするなどすれば、

意図的に楽しくできることもありそうではある。