さかなとかえる

徒然なるままに

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競争は本質的ではないが、宗教のように力を与えてくれる。

大抵の人は、競争環境に置くと置かないとでパフォーマンスが変わる。

 

いわば、適度な「ストレス」があるのが、良いのだ。

もちろん、ストレス過多だと機能しない。

 

大前提、競争は本質的でない

「競争しない」というのが最適解であり、競争しない環境にする、障壁を築くというのがゴールなところもある。

例えば、いわゆる通信の3大キャリアは(見かけ上)新規獲得・乗り換えを進めているが、料金を大幅に下げることはしない。競争しなくても、利益が取れるからだ。

会社でよくある、新人賞や、MVPみたいな社内表彰は、作られた競争である。本質を追求すると、社外の人も含めた中で表彰されるが、あくまでどのような環境でも社内での、ある意味わかりやすい競争をさせている。

同期の中でどうとか、部署の営業の中でどうとか、そういうことはあくまで「自分たち都合」であり、それはクライアント・エンドユーザーのためにあるものでもないのだ。

 

競争が力を与えてくれるケース

・追う立場の場合

例えば、ベンチマークするサービスの規模や売上がわかっていたら、まずはそこを基準に、目標に置くだろう。

ベンチマークするサービスがなければ、いわゆる競争とみなすものがなければ、基準や目標を作るのも大変だし、そもそもそれを設定するという発想にないかもしれない。

・目標がない場合

1人だけ違う部署の配属になった人が、他の人たちは比較的売上を作りやすい職種だったので、それをベンチマークして、「周囲が結果を出している中、早く会社に貢献したかった」と言っていたのが印象深かった。

それは、前者はオペレーションを作る仕事、後者はオペレーションを回す仕事で、質は断然前者の方が高いものを求められているのだが、そういうことはベンチマークする上ではあまり関係ない。

 

競争は、あくまでサブKPIであり、参考情報ではあるが、いい塩梅の目標を設定することができるという長所がある。

また、クライアントから「競合の●●はこれができるのに」というフィードバックをもらうと、頑張ろうと思えたり、何か進められることが増える。

それ自身に意味はないが、一方的に信じることで、何もしないよりも力を与えてくれるという点では、宗教に近いのかなと感じている。