さかなとかえる

徒然なるままに

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偏差値49の私立中学に入りたかった話。

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受験世界への誘い

「中学受験とか考える?電車で2駅で、駅から専用通路で通える学校があるけど」

そんなことを母から言われたのは、小6の夏ぐらいだった。

「行くわ」

 

そんな感じで、受験勉強が始まった。

そんな感じの軽いノリだったのは昔からだったのかもしれない。

 

連絡用で携帯を買ってもらった頃だった。

もちろんガラケーの時代で、なんならキャリアがボーダフォンだった。

たぶん最近の若い子は聞きなれない名前でしょう。

 

二つ返事で受験しようと答えたのは、後付けながら理由がある。

まずは、普通に公立に行こうとすると当てはまる中学が、評判がよくなかったこと。

ガラが悪いっていう感じ。

そして、小学校の同期とウマが合わなかったこと。

それなりに友達の家とかに遊んだりもしていたけど、昔からコミュニケーションを取るのが苦手で意思疎通がうまくいかなかった。

これに関してはだいたい自分のせいなのだが、「周りが悪い」と環境のせいにして、新たな環境に飛び込みたかった。

 

いざ勉強

もちろんだが、私立中学に入るためには受験に合格しなければならない。

とりあえず受験勉強のことを何も知らなかったので塾に通うことに。

個別指導、1:2のところに。

自分の担当になったチューターさんは大学生だったけどとても気さくで絡みやすかった。

ただ、塾に入って自分の成績がゴミでびっくりした覚えがある。

模試で30点とか取るのは大学受験の時を考えればまぁ普通にあり得るのだが、それまで超簡単で暗記さえすればよかった小学校のテストを受けていた自分にとってはショックだった。

100点が当たり前、悪くても80点だったからなぁ。

小学校やクラスの中では勉強はできた自信はあったのだが、受験の世界は全然環境が違うことを痛感した。上にはいくらでも上がいることを。

 

あっという間に時間は経つ。

冬期講習で過去問を解きはじめて、問題傾向に慣れてきたらまぁそれなりって感じ。

科目は国語・算数・理科・面接だった気がする。毎年6割前後がボーダー。

国語が得意になり、70~80ぐらい期待できればまぁなんとかという見られる数字にはなった。

ただ本番直前で、台形の面積を求める公式がこの世に存在することが発覚。いままでの頑張って直線引いたりして力技で頑張った苦労は・・・。

というか中学受験でメジャーな鶴亀算とかもだいたい知らなかった。

そんなの教えてもらうレベルにすらなかったのかもしれない。せいぜい食塩水程度。しかもめちゃ苦手だった。

面接練習も1回やった。チューターの人に敬語とか教えてもらった。年上の人を前に「イヤ、・・・」は使ってはいけないことを初めて知る。イヤ、今でも使うんだけど。。

 

あっという間に本番

そんなノリで前期受験。面接で緊張する。

手ごたえは全くなかった。けどそれを出すのが嫌だった。

数日後、学校から帰ってくると届いていた。不合格通知。

泣いた。

 

別に、自信があったわけでもない。模試でE判定しかとってない、たった数カ月勉強しただけの奴なのに。

なんか、悔しかった。

自分に腹を立てていたんだと思う。

 

親からは「後期どうするの、受けるなら願書書かないと」と言われた。

夕飯を食べる前に、答えを振り絞る。「受ける」

 

とは言っても、後期はさらに倍率が高い。

そんな甘い世界じゃない。しかも数日しかない。

確か後期は、平日開催で小学校休んだ。

クラスの誰にも、このころは受験のことを話していなかった。

担任の先生ぐらいにしか話していなかったのだが、後期受験の数日後のマラソン大会で他の先生に受験のことを聞かれた。

ちなみに余談だが、当時の担任の先生のお姉さんが自分の志望している中学の音楽の先生をしていることを知った。

 

後期受験は前期以上に覚えていない。

ただ面接で「どうして後期でうちを受けようと思ったのですか」と聞かれて、

「前期で落ちたからです」と答えるのが鬼恥ずかしかった。

「あ、前期も受けてくれたんですね、、、」ぐらいに捉えられてたと思う。

 

後日、学校から帰ってきたら前期の封筒よりも大きいものが届いていた。

格通知とか手続き系の資料があったかららしい。

こうして、なんとか必死にやってようやく偏差値49の私立中学に合格することになった。え?と思うぐらいビックリしたけど。

勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。

チューターさんも大喜びしてくれた。本当いい人だったなぁ。

 

受験世界からの離脱

そのまた後日、自分は行くことのない公立中学の制服の採寸?かなんかがあったようで。

「鱒、この前おらんかったやん」とそれなりに話せる男子から声かけられた。

「実は・・・」この時に、初めて自分の口から同期に話した。

 

受験することも、何もかも話してこなかった。

自分が周りの環境のせいにして抜けることを、どこか申し訳なくも思っていたから。

 

あと数人にも話したけど、他9割のクラスメイトは知らずに卒業していった。

そして中学に入ったときに知ったんだろう。

なんかその頃は卒業式付近でデコレーションされた紙に携帯番号やメールアドレス書くのが流行っていたな。

恥ずかしいし、自分の情報を載せるのが嫌だったから渡さなかったけど。今思うと本当ひどい奴だな。

 

たった一人で戦った数カ月。

無茶な冒険だったけど、ちょっぴり非現実で、でも打ち込めるものがあって当時はよかった。

それまで家と小学校と友達の家ぐらいしか知らなかったところを、拡張させてくれた世界だったから。