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考える鱒

モラトリアム文系院生のつぶやき

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ゼミ共同論文で学んだこと

出来事。

だいぶ前の話。

はじまり

B4の5月末のころだった、

自分と同じゼミ所属のN氏から声を掛けられたのは。

論文の話とか、就活の話ではない。

N氏が所属している違うゼミで行うフィリピン調査の話を、持ちかけられたのであった。

色々あるけど、言い分はこうだ。

・海外調査にあたって、論文を書けば大学からお金が出る

・プロジェクトはすこしずつ計画されており、N氏がリーダー

・お金申請するための人手が足りない、ついでに調査の人手も足りない

だから来てくれないか?ということ。

要するに、人集めだった。しかもフィリピン!?誰がそんなん行くか・・・

 

ということで、ゼミ共同論文プロジェクトにジョインすることになった。

 

調査前

その先生(≠自分の論文担当の先生)のゼミ生がいて、その人たちでゼミの時間に議論されていた。自分は6月から正式にジョインすることになった。

自分と同じようにかき集められた組は全部で4回生2人、3回生4人(のち1人辞めるけど)、2回生4人。もともといるメンバーと合わせて15人。お金申請人数だとか。

その15人でゼミをして調査内容を決めていったりするんだけど、人数が多すぎる。

だいたい議論の覇権を握っていたのはリーダーN氏・副リーダー+もう一人の女子、というもともといる3人。影でトロイカ体制と呼んでいた。

他のメンバーもちらほら発言するけど、発言量が違う。そもそも、ずっと国際系の勉強をしてきた正規ゼミ生と、ジョインしたばかりの「よそ者」では、知識量が違いすぎた。もちろん自分も全然ついていけない。英語の論文についていくので精一杯。

人数も多いため誰か抜けていることも多いし、秋の調査前はピリピリ。

15時からゼミが始まったのに、休憩挟みつつとはいえ22時までやっていたこともザラにあった。自他ともに認めるブラックゼミ。

トロイカの3人でガチンコ議論すると終わらない。今まで議論してきた前提をひっくり返すことをぎりぎりの時間に言うし。議論レベルが低い男性陣はなかなかつらかった。組織の役割におけるサポーターにもなれてない。

空気はよくなかった。副リーダーが特に怖くて、「お前らそれでいいんか!?」みたいな体育会雰囲気だった。そのせいで後輩たちは今でも副リーダーを恐れていたりいなかったり。体育会ゼミと言われていたけど。

しかも自分は成績が良くなくて、大学からお金が下りないということが夏ごろ発覚。お金というインセンティブが・・・代わりに大学内で仕事を見つけてもらい、お金を捻出した。

15人で一気に議論するのは無理だから分業して詰めよう、と3グループに分かれてそこの責任者的なこともやった。しかしグループの課題をやるにもメンバーの時間が合わなくて、結局深夜にSkypeしていた。デススカイプはもうしたくない。

あとは、自分ともう一人の4回生で盛り上げ要員という仕事を得た。現地で一芸を披露することがあるので考えておけとのこと。芸出しとか一番嫌いなやつやん・・・

 

調査

その秋にフィリピンへ。メンバー1人が来れなくなってしまったり色々あったけど、一応無事に調査はできた。

はじめてのフィリピンは、罰ゲームよりbalut(リンク先グロ注意)という孵化しかけのアヒルの卵を食べたり、おいしすぎるマンゴーを食べたと思ったら、激辛唐辛子を食べたり甘すぎるアイスティーを飲んだりと色々衝撃だった。

一芸はアイドルのダンスをみんなで披露。ホテルで夜遅くまで練習した。思ったより踊る機会多くてびっくり。

フィリピンでは日本人男性がモテるという話を聞いていたが、自分は現地の人からChinese?と言われるし、全くモテなかった。他にも日本でイケメン認定される男子がモテないのに非イケメン男子がモテたりしていたのでその辺は興味深い。

英語は思ったより話せたとの評価をいただいた。日本で練習でやった英語ディスカッションはゴミだったから、危機を感じたら話せるようになるのか!?

ただ現地でも色々詰める作業があったり。現地の大学生に翻訳してもらったりとか。夜にミーティングして後輩に対してピリピリさせていたり、その態度をまた怒ったり。トロイカ3人はずっと怖かった。

それも含めて、自分にとっては数少ない青春だったのでは。別にそれで感動して人生変わったとかは思わないけど。

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調査後

フィリピン楽しかった!

で終わるわけがなく、ここからが地獄の始まりだった。。。

まず、帰国して次の日にゼミをやるというところから。

自分は紙のデータを全部Excelに落とし込む作業をやった。COUNTIF関数の偉大さに気づけた。

そして、現地で調査したデータが思ったより少ないとか、相関がなさすぎるとかいろいろ問題が浮き彫りになる。

年が明けると・・・自分と副リーダーは大学院進学するんだけど、ほかの4回生卒業論文→就職でプロジェクトから抜けることに。なので3回生主導になる。

自分は、論文がひと段落して大学院進学してから、論文執筆プロジェクトに戻る。

そうすると、なんかよくわからない方向に進んでいて。これまた元副リーダーがぼやいていた。こわい。

多分、みんな共同論文はやりたくなかったんだろうなぁと感じた。多くは「お金補助あるから格安でフィリピン行ける!」っていうのに惹かれて入ってきたし。全体のモチベーションも低下気味で、春以降はただただしんどかった。

結局、プロジェクトにジョインしてから1年後の夏に完成。その後寄稿にも載って、一応の目標は達成された。さらっと書いてるけど本当しんどかった。

 

学んだこと

一つのことをやり遂げることの大変さ・難しさっていうのが一番かなぁ。

好きでやっているのならいいけど、今回の場合お金をもらっている=成果を報告しなければならないという状況だったしね。自分はお金出なかったんですけど。

他にも・・・

・「1つの組織で見れる部下の人数はMax7人か8人」という組織論を知ったのは後からだったけど、納得。15人で一気に議論するのは無理だ。

・ゼミ中にお菓子を持ってくるという発想がこれまでなかった。後に学生広報チームでパクることになる。

・っていうか一番真面目に議論したゼミだった。課題も膨大。体力って大事。

・自分の役割が薄かった。それなりにできることもあったと思うので、反省。フォロワーシップを意識するようになった。

・せっかく現地に行ったのに、プロジェクトメンバー(日本人)と話すことが多かった。今思えばもったいないし、メンタル的に鍛えないと。

こうして振り返ってみると、割とマインドがダメだったな。それに気づいただけでもよかったか。

トロイカ3人の「ご機嫌をよくできるか」「ご機嫌を損ねないか」を軸に判断していた。おそらくよそ者たちはみんなそう思っていたんだろうけど。。

能力のないサポーターはつらい。組織全体から見ても、リーダーから見ても、本人から見ても。これだけは間違いなく言える。申し訳ない。

今でもこのメンバーはちょくちょく会えるメンバーで会っていたりしている。それぞれの道を歩んでいるようで何より。

 

調査後、仲良くなったフィリピン人とのメッセージを解読する記事はこちら↓

jmath.hatenablog.com