盛り上がっていますね、リオオリンピック。
鱒はテニスとカヌースプリントぐらいしかちゃんと見ようとは思いませんが。
マレーが強いのはもう余裕で知っていたので驚きはありませんが、ジョコビッチが1回戦で負けたということとそのジョコビッチを倒して決勝まで行ったデルポトロが復活してきたということが非常に面白かったです。錦織はメダルで騒がれていますが、テニス見ることが好きな鱒からしたらあんなもんです。良くも悪くも想定の範囲内というか。
カヌースプリントは昨日から予選が始まりました。いいですね。1000mを3分35秒とか、そんなんで漕げたら気持ちいいでしょうね。
そんなカヌースプリントをしていた学部時代の3年半の正直な思い、気持ちをぶつけます。後輩が読む可能性が少しながらあるかもしれませんが、まぁいいです。モチベーション下げてしまったらどうしよう・・・
~1回生~
大学に入り、何かコミュニティに所属したいなとは思っていました。カヌー部の新歓に足を運ぶことになり、楽しそうなので入部しました。練習はきつかったですが、まぁ運動苦手ですし、それまでも運動していなかったのでこれは当然でわかっていました。
始めは艇に全く乗れませんでしたが、乗れるようになってからがしんどい。陸上トレーニングもしんどい。走るのも自重もきつかった覚えがあります。
当時の部はめちゃすごい監督がいて、めちゃすごい先輩が多数いて、そんな人に指導される環境で練習していましたがもともとのスペックと入部してからの努力不足で、大学から始めた人達で競うジュニア部門でも勝てるわけもありませんでした。
もともと上達する見込みがないと思われたのかは定かではありませんが、毎年初めに選ばれた部員が辞めていく役割「学連」を担うことになりました。先輩から冗談半分で部門変更も勧められました(選択肢にあってよかったのかもと今更思っております)。
4回生が引退して、経験者と同じところで競う時期になってから練習のノートを毎日つけ始めました。ウエイトトレーニングも始めましたが、圧倒的最下位でした。
でも心の中には、「1年目だし、まだまだこれから」と思っていました。入って1年で体重が10kg増えたし、それなりのやった実感はあったのです。
~2回生~
寒い荒波の環境で1度死にそうな経験したりしていましたが、この年の新歓までの時がフォームが一番きれい(というかマシ)だったんじゃないかと思います。
しかし新歓で練習量が落ちると忘れてしまいました。もったいなかったです。
練習にはある程度慣れて記録は昨年比それなりに伸びましたが、予選通過等のタイムには全然届きませんでした。
2回生の冬は先輩とペア(2人乗り)にたくさん載せていただいた印象があります。一番もったいない時期でした。日を追うごとに成長しなければならなかったのですが、あまり成長を感じられず同じような課題に当たってばかりでした。おまけに試合でのパフォーマンス量がイマイチでした。あとここからいくら食べても(夕食で定食2食はしごしようが)体重が増えなくなり、ウエイトの記録も思ったように伸びなくなりました。
~3回生~
また下に、インターハイとか国体優勝者が入ってきて競うわけです。3回生関西大会前で自己ベストを更新しまくっていましたが、本番ではそこまでパフォーマンス出せずに終わりました。この時に競技面での諦めみたいなものを感じました。もちろんそんなこと言いませんし、言える環境ではありませんでしたが。ペアも体重移動が独特になってしまい誰と組んでも合わなくなりました。漕ぐときの変な癖がついてしまったのです。
一応最上回として幹部になり、この時の秋までは上達していく実感もありましたが、「例えこのまま伸びても間に合わない」ことも感じていました。そして就活が始まった冬に、また秋までの漕ぎを忘れてしまいました。
~4回生~
就活に失敗。まぁこんな感じの意識で練習していたら当然だったのかもしれません。
本当は何もわかっていませんでしたが、何かを悟ったようにして練習をしていました。乗艇するたびにお尻が痛く、練習の終盤の時間には痛すぎて力を入れて漕げませんでした。後輩たちに抜かされる機会も多くなってくるもなぜか艇だけは守り抜き、大会では最後まで負け続けました。負ける予測もしていましたが、なぜかモチベーションはあって、楽しかったです。幹部としてはたいした働きができずに悔しく、全く満足できませんでした。
☆こんな経験から得たもの
そういや鱒が1回生の時に他大学の4回生の方から「引退まで3年半続けると得るもの・見えてくるものが必ずある。だからどうか辞めないで頑張れ」というアドバイスをいただきました。辞める気はさらさらなかったのですが、確かに終えてみて得たもの・見えたものはあったかもしれません。
①「きっと~なるだろう」という推測はいい意味だと当たらない、悪い時場合には当たること
→悪い勘だけは当たりました、なぜか。勘って、言語化できないけど自分のこれまでの経験から導き出される予測らしいので、信憑性はあるみたいですよ。良い勘が当たらなあったのは、無意識に希望的観測を盛っていたからというのと、たいした成功体験がなかったのでいい予測の精度が悪かったのだと思います。逆に失敗体験はあったので、悪い予測の精度が高かったのではないでしょうか。
②スポーツって当たり前だけど実力主義な世界だということ
→何を当然のこと、と思うかもしれませんが大学でようやくちゃんとした競技に取り組んだ鱒はこれに改めて気づきました。大学名とか出身とかビジュアルとかフォームとか性格とかは関係ない、決められたルールで1番になった奴が偉いんだと。
③「それなりに」時間をかけていては壁を越えられないこと
→大学から始めて、運動神経もないのに、人と同じ時間ぐらいだけやって抜けるわけがなかったです。甘かったです。「時間をかけるのなんてダサい、効率悪い」みたいな逃げがあったのでしょう。どのフィールドにせよ質を決めるのは、量じゃないかと最近考えるようになっております。
④型にとらわれすぎたことを後悔していること
→③での練習量も含め、何か既存のやり方・風潮に従ってしまいました。クリエイティブさが色々な面でないな、と。部での発言やブログなど、「こう言わなければならない」「こう振舞うべき」何かにとらわれていました。その反省を踏まえて、こうしてネガティブポイントを整理しております。
⑤具体化を避けていたことも成長を阻害する要因だったこと
→練習での目標で「大きく漕ぐ」「バランスを意識」等、かなり抽象的なもので目標を立てていました。大会の目標「ベストを尽くす」とかですね。具体的な目標をあまり作らなかったんですよ、具体的な目標を作ると周りからも達成度合いが見える、ハッキリします。鱒はそれを避けていた、正直逃げていました。抽象的な目標だと練習後の反省・振り返りでも抽象的なことしか言えず、ますます逃げるものの結局どうすればいいのかがわからないのです。抽象的なプロセスを評価する以前に、具体的な成果を評価しないと本末転倒だったなぁ、と思います。鱒自身は弱い人間なので、仮に具体化してても辛かったんだろうなとも思いますが、本質を考えるとそうした方がよかったのかな、と振り返ります。
これらとは関係なく、いくつか思い出というか、覚えていることがあります。
主将が最後のレースで頑張って結果を出せたこと
全国大会で最後のレースのスタート時は毎年のように覚えています
荒波を見たこと
今思うとなぜかわからないけどネガティブなことを言いまくっていたこと
鬼のように練習したこと、また競合の練習を見ていたこと
試合を見る側で寂しい配置だったこと
練習している現役の後輩たちは本当に尊敬します。
カヌーは正直言ってスペック、意識ともに自分には「向いていなかった」ものでした。
ただそれだけで、それ以上の感情はもうありません。
ただ、こんなに一つのことに取り組みながらも逃げ続けたことはきっと貴重な財産になるでしょう。良い推測なので精度悪いですが・・・