考える鱒

文系院生がITベンチャーに迷い込んだブログ

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育てられることと育つこと

勘違いしないでほしいのだが、教育とは教育を受ける人のためにあるものではない。

 

教育する側のためにあるものである。

 

なんで学校があるかというと、もともとは軍隊を養成する場所だったから。

運動会や制服などに今も名残があるが、強い軍隊を作るために必要最低限の常識や知識に加え、組織で動くことを学ばさせた。

 

今の義務教育は、それこそ読み書きのような土台の最低限の知識をたたきこまれる。

それは日本の経済のためでもあるし、最低限のコミュニケーションが取れないで不都合が起きたりしないためという理由もある。日本人や日本ということを対外的にブランディングする力もまた持っている。

 

会社の研修でマナーやら何やらあるが、あれも同じで社員を育てるという名目で、常識がないなど取引先に言われると会社の損失になるし、ブランディングに関わる。

会社名を背負うからには、会社の恥をかきたくないからだ。

 

よく上の方は下をどう育てるか考えているが、それは本人のためを思っていることはまず到底ない。

 

じゃあ教えられる側はどうすればいいのか?それは「教えられない」ことである。

育てられるのではなく、自らの力で育ちに行くのである。

 

教育に不満があるようだったら自分で自分を教育すればいい。

受け身な姿勢でいるのではなく、積極的に学ぶ機会を設けたほうが絶対いい。

 

育てられることをいつまでも待っている人には、最低限の恥はかかないかもしれないがただそれだけしか得られない。

 

4月から、進学や就職で新しく学ぶ環境が変わったりするような人も多いかと思うが

育てられることよりも、自らで自らを教育することを望む。