大事なのは自分の価値観を守ることよりも、相手の価値観を理解することです。
日本では夫婦がそこそこの確率で離婚しますね。
その時の離婚理由で多いのが、「価値観の違い」。
別に夫婦に限った話ではありません。
何からしらの組織に所属していたら、「価値観の違い」を理由に離れる人はいるのではないでしょうか。
「価値観の違い」
「お前はそうかもしれんけど、私は違う価値観を持っているから、押し付けるな」
ほんと、便利な言葉ですよね。
最強のバリアカードですよ。遊戯王で言ったら聖なるバリアミラーフォース級です。
いや、価値観が多様なのはいいことですよ。
もちろん別に人から無理矢理価値観を押し付けられる必要はないと思います。
自分は、どちらかというと自分の価値観というのが薄いです。
イエスマンなんで。まぁ、イエスマンでいようとする価値観は濃いのですが。
「人間働きすぎはよくない、ワークライフバランスが命だ」
そう言うのは、働きすぎてついていけなくなった負け組か、それすらチャレンジしないチキンかのどちらかです。なのにこの主張は炎上しません。それどころか逆のことを主張したら炎上するのはどうなんでしょう。
「死ぬ時に後悔したくない、後悔しない人生を送りたい」
そう平然と言う意識高い学生が多いですが、死ぬ間際に後悔しようがしまいがすぐ死ぬのですからあまり意味はないのではないでしょうか。
この理論だと「死ぬ間際に後悔してもいいから、充実した人生を送りたい」も同列の価値観なんですよ。
「お前はできるかもしれないけど、世の中そんな人ばかりじゃない」
「家庭的に恵まれているからやろ、自分はお前とは違う」
「お前にはこのしんどさがわからんやろうな」
こんなこと言われたことがあります。
「できる人」と「できない人」とを勝手に階級区分しているのは、「できない人」だ。
「恵まれている人」と「恵まれていない人」を勝手に階級区分しているのも、「恵まれていない人」だ。
「意識高い人」と嫌味で定義しているのは、「意識高い人」になれなかった人だ。
自分ができない・なれない(やらない)ことを正当化・合理化する時に便利なのが、「価値観の違い」です。
つまり、「自分は〇〇だから意識高い人にはならなかった」と後付けするのです。
「価値観の違い」を主張したがる人は、自分が好きなんじゃないかと思います。
好きな自分を守るため・好きな自分の存在を認めてもらいたいからではないでしょうか。
もし相手の価値観を受け入れたら、好きな自分のアイデンティティが崩れるのでしょう。
だから、「価値観の違い」をやたら主張する人は、本質からズレて自分自身と戦っているのです。
上司と価値観が違うな・・・
恋人と価値観が会わない、イライラする・・・
と思った方、考えてみてはいかがでしょうか。
大事なのは自分の価値観を守ることよりも、相手の価値観を理解することです。
「自分はこうだからお前とは違う」というスタンスではなく、相手の価値観にも共感するのです。
その姿勢がまた、同じく自分の価値観が相手に共感されるのです。