某社のキュレーションメディアが問題になっているので、それに関して色んな記事を見る。
インターンで知り合った同期がそれ関連のメディアで働いていたし。
色々論点はあるけど、結局は「科学的でないコンテンツが検索上位に出てくる」ことが問題なのではないか。
著作権がなんで必要かというと、そりゃ著者の権利が当然だ。ルールの問題ももちろんある。
でもそれだけじゃなくて、その著者という存在・引用・参考が記事の論理性を深め、科学的な内容にしていく。信頼性の問題でもある。
検索上位(SEO)なんて、今やどこのネットメディアもやっているはず。
で、科学的じゃない、根拠・裏付けの薄い内容で医療現場を困らせているって??
それは事実なんだろうけど、だからどうした?っていう。
人はそもそも、科学的なものを望んでいるとは限らない。自分はそう考える。
特にネットなんかでは。
誰しもが該当するわけではないが、一般的に人は手相とか占いとか、血液型とかが大好きだ。
毎朝どこの局のニュースでも、星座占いか血液型占いがある。
水素水とかコラーゲンとか、よくわからない成分とか。
それらの商品を科学的根拠があると思い込んで買うし、だから経済が回る。
一種の宗教とも呼べる。科学的じゃないものを信じているし、それがむしろ人間的とさえ言える。
自分は基本占いとか嫌いなんだけど、レッドブルは飲む。レッドブルに書かれているカタカナの成分でどうなるかは知らないが、「レッドブルを飲んだ」という事実が、自信をもたらしてくれるし、机に置いていると頑張ろうという気になる。だいたいの栄養ドリンクなんて、そういう「自信」を、時には「言い訳」をもらたすものであって、中身の問題ではないんだろう。
「コラーゲンを摂った」から自信がつくのと変わらない。
ゲン担ぎも同じ理屈だ。
また、「今日占いでよかったから~」と嬉しそうに自分に話しかけてきたら、そこで「占いは科学的根拠ないやん」と言い返しても、この発言は誰も幸せにしない。科学的には間違ったことを言っていないのだが。聞き手がどう思っていようが、「そうなんや~」などと流すことが、相手の感情には正の作用になるわけだ。
とはいっても基本的には、「科学的なもの」と「いいもの」は正の相関関係にあり、イコールでとらえられる。
しかし、なんの科学的に根拠がないものでも、「いいもの」ととらえようとするものも、存在する。その時、科学と感情は相反する。
例えば、無意識のうちに人工的なもの=悪、自然的なもの=善となぜか思うことがある。
ここまで書いてみると、先ほど科学的なものを望んでいるとは限らないと述べたけど、正しくは、「感情的にいいと思うものを、科学的に正しいと勝手に思い込んでしまう」んだ。
ハナから、科学的に正しくないと自分で認めてしまうわけじゃない。
この、科学と感情を統合した、「感情に響く人間のための科学」を作ってほしい。わかりやすくなったらいいのに。心理学に近いけど、違うような。
まぁ、うちの学部・研究科は人間の科学をやっているからおそらく追求するべきなんだろうなぁ。