背景や目的に納得しなくても頑張れるのは、一種の才能だ。
逆に、背景や目的に納得しないと頑張れない人もいる。
・自分はこの分野に興味があるわけじゃないです。。。
・この分野の仕事が社会に役に立っていない
と言って辞めていく人が周りにぼちぼちいるのを見て、
かわいそうな人だなぁ
と感じてしまった。
社会に役に立っている/立っていない の基準は何だろうか?
この間新卒の面接で
「介護問題を解決したいです」と言っていたからほうと思って話を聞いてみたら
そのボトルネックは人手不足で、だからもっと業界に人を増やす仕組みが重要。
そう言っていた。
なのでフィードバックをしたのだが、
人口が減っていく中で、人手のパイが減っていくことは明らかにわかっているのに
介護に人を増やしたら、逆に今回っている業界が人手不足になり社会問題になるのでは
そう伝えた。
本当に介護の人手不足を解決したら、社会の役に立っていると言えるのだろうか?
その新たな問題がもっと深刻なら・・・
一応補足だが、ここでは人手不足を人で解消しようとしていたからそう言えるだけで
むしろ人に頼らないことで解決できるのであれば、もちろん役に立つのと言える。
と思うのだが、多分その学生さんはそういうマクロな構造の問題を抜きにして、
というかバイアスがかかっているのだろうけど
自分自身の背景や目的があって、そこに納得した解決法をしたいのだろうなぁと
思った。
私はフィードバックをしたのだけど、それで視界が変わったか、
それとも自分の考えと違う人で気持ち悪かったなぁ、
やっぱり考えが合う人のアドバイスを参考にしよう、と思うか。
多分20%・80%ぐらいの割合なんだろうなぁとも感じている。
個の時代と呼ばれていて、自分のやりたいことを叶えやすくなったのは
マクロとしては事実なんだろうけど
その自分のやりたいこと、の力が強すぎて一般人が扱うと
かわいそう・不幸せになるケースも多いのだろうなぁ。
自分のやりたいことや納得感をどこまで信じるか、にも関わるけど。